漫画「鬼滅の刃」には、「人喰い鬼」とその鬼を狩る「鬼殺隊」の戦いが描かれている。
その中には日常生活や、ビジネスに活かせる、学びの要素もある。
今回は「鬼滅の刃」に出てくる2人のリーダーと、働き方改革で変化が起きている日本におけるリーダー像(上司)や組織について考えてみた。
(この記事では「鬼滅の刃」コミック第6巻の内容のネタバレを含みます。)
鬼滅の刃の心理描写に学ぶ、共感できるリーダー(上司)と組織への影響力
鬼滅の刃には、「人喰い鬼」とその鬼を斬る「鬼殺隊」の戦いが描かれている。
ただ、鬼自身にもストーリーがあり、絶対悪としては描かれていない。対立する存在ではあっても、完全な正義と悪というわけではない。
鬼になったとはいえ、そこに理由があったことがしっかり描かれている。
この各キャラクターの背景描写や心理描写の緻密さが、悲しいストーリーなのに多くの読者を引きつける魅力にもなっている。
「人喰い鬼」と「鬼殺隊」、その対立軸にある2つの組織(組織と言えるかどうかは微妙だが、ここでは2つの集団それぞれを組織と定義する)のリーダー像は対照的だ。
- 鬼殺隊の剣士を束ねる鬼殺隊当主、産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)
- 鬼のボスといえる、鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)
鬼滅の刃のリーダーといえば「無限列車編」に出てくる「心を燃やせ」の炎柱の煉獄さんが有名だけれど、今回は上記の組織を束ねる2人について比較してみよう。
どういう人物なのか?
鬼殺隊当主は、心理的安全がある共感できるリーダー
鬼殺隊当主の産屋敷耀哉には剣士としての力はない。
しかし、組織をしっかり束ねて運営している。
なぜそのようなことが可能なのか?
次のような理由が考えられる。
- 人の話をよく聞く
- 配下の心理的安全性に配慮している
- 本人が冷静、沈着かつ戦略眼(先見の明)がある
- 鎹烏(かすがいカラス)を使って各種情報網を張り巡らせている
- 組織の目的が明確で、それを皆と共有している
例えば、次のような場面がある。
コミック第6巻、第45話の「鬼殺隊柱合裁判」で産屋敷耀哉は、
「竈門炭治郎(妹を鬼にされた鬼殺隊隊員)と禰豆子(炭治郎の妹で鬼のまま生きている)のことは私が容認していた。そして皆にも認めて欲しいと思っている」と述べている。
しかし、鬼である禰豆子の存在は、従来の鬼殺隊の常識では許容できるものではないのだ。
産屋敷耀哉の発言に対する「柱(鬼殺隊の最強クラスの剣士達)」の回答がすごい。
「私は承知しかねる…」
「俺も派手に反対する。鬼を連れた鬼殺隊員など認められない」
「信用しない。鬼は大嫌いだ」
「心より尊敬するお館様であるが理解できないお考えだ!全力で反対する!」
「鬼を滅殺してのこその鬼殺隊。処罰を願います」
部下はリーダーの考えに大反対なのだ。
しかし、ここで注意して欲しい。
組織のリーダーに対しての自由な発言が許されているし、それができている。
強い相互信頼による、心理的安全性が確保されている。
そんな組織が現実にはいったいどれくらいあるだろうか。
少し違えば、リーダーの威厳を保つために即座に意見を否定し、論破しにかかるリーダーもいるだろう。
そして自由な意見だしは封印されていく…
でも産屋敷耀哉はそうしなかった。
冷静に理由を話し、そして否定するにも、肯定するにもしっかりその根拠を証明することが必要であることを皆に諭し、竈門炭治郎と禰豆子に証明のチャンスを与える。
つまり、前例にとらわれず、独善に陥らず、配下の意見を肯定し、受け入れた上で、鬼に対抗する戦略要素も考慮し、自信ある判断と説明を行なっている。
それができるのは高い情報収集力とその的確な分析ができていることがある。
加えて肝が座っている。
組織の運営をする際に、このようなリーダーがいると心強い。
絶対服従が求められる「パワハラ会議」の主催者(鬼のボス)
鬼のボスである鬼舞辻無惨の戦闘力や能力はずば抜けていて、鬼の中でもチート級である。
鬼は、体を切られてもすぐに体が再生して、傷が残らない。
そんな配下の鬼を指先の動きだけで一瞬で殺傷してしまえる、圧倒的な強さを持っている。
身体能力でいえば産屋敷耀哉の対極にある。
そして、その精神的側面におけるリーダー像も全く異なる。
コミック第6巻、第52話「冷酷無情」に次のような描写がある。
パワハラ会議として有名である。
配下の鬼を集めて次の発言をする。
「頭を垂れて蹲(つくば)え。平伏せよ」
「誰が喋って良いと言った?」
「貴様共のくだらぬ意思で物を言うな。私に聞かれた事にのみ答えよ」
「『そんなことを俺たちに言われても』何だ?言ってみろ」(と言った後、相手の鬼は瞬殺される。)
「お前は私が言うことを否定するのか?」
「私の言うことは絶対である。お前に拒否する権利はない」
「私が”正しい”と言ったことが”正しい”のだ」
「お前は私に指図した。死に値する」
ここから、次のようなリーダーだと考えられる。
- 人の話を聞かない
- 自分の判断、主観が絶対であり、反論を許さない
- 部下には絶対服従を求める(一切信用しない)
- 配下の行動を常時監視している
- 配下を気に入らない場合、即座に切り捨てる
- 部下は自分の目的のために存在する
以上の特徴から「パワハラ上司」のようだ、と揶揄されることが少なくない。
自分だけが正しいと主張し、絶対的な力で配下を服従させていることから「パワハラ上司」そのものだと言える。
最近は直接耳にすることはないけれど、数年前まで鬼舞辻無惨のような上司は、それなりに存在していたのではないだろうか。
だから共感されるのだと思う。
働き方改革|過労自殺事件以降、社会が変わった
2015年の「電通『過労自殺』」事件を覚えているだろうか。
心理的安全性はなく、組織に精神的な絶対服従の構図があったのだと思う。
この事件の後、日本の社会や企業がパワハラやセクハラを自分ごととして捉え、労働環境の改善、働き方改革に動き出したのではないかと個人的には思っている。
知らない方もいると思うので、概略を少し掲載する。
「電通『過労自殺』」事件
「1日20時間とか会社にいるともはや何のために生きてるのか分からなくなって笑けてくるな」
SNSにそう投稿した電通に勤務していた女性が、その1週間後のクリスマスに自ら命を絶った。
残業時間が100時間/月を超えていたとされている。
月100時間というと、労働日数が20日/月だとして毎日5時間超の残業ということになるが、たいして驚かなかった。
感覚が麻痺していたのかもしれない。なぜなら当時の感覚ではそれが当たり前だったから。日付が変わるまで会社で働いたり、なんなら土日も出勤していた人もいたのではないだろうか。
頑張り続けた末にそのような悲しい事件が起きた。
変化した社会と働き方改革
「電通『過労自殺』」事件が大々的にマスコミで報道されたことから、深夜残業等の過労働や過労自殺の問題が、社会に顕在化した。
そして当事者となった企業は、企業としての存在に疑問を持たれかねない事態に発展した。
我が社は大丈夫なのか?と思った会社経営者(経営陣)も少なからずいたのではないかと思う。
それから2年後の2017年に、厚生労働省の労働政策審議会で、次の議論や意見の発出(建議)が行われた。
- 時間外労働の上限規制
- 勤務間インターバル
- 長時間労働に対する健康確保措置
そして、2018年7月に「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律」が成立した。
法律の施行は2019年〜2021年にかけて行われた。
世論が動き、法律が整備され、急速に労働環境や社会が変わった。
私たちは、こんな変化の時代に生きていて、働いている。
コロナの影響もあるけれど、ここ数年で深夜残業はなくなり、以前に比べて月当たりの総労働時間は減った。
ただ、衣食住の安全が確保できないと離転職は難しい。
すなわち「金銭的問題から言い出せずにパワハラが表面化ない」ことは今もあるのかもしれない。
組織や理想のリーダーの変化と鬼滅の刃への共感と学び
鬼滅の刃は、漫画・アニメであるが、一時は社会現象を巻き起こすほどのブームとなった。従来の常識を打ち破り、子供だけでなく、大人にも共感が広まった。
漫画の内容への共感とこれからの組織やリーダー像
鬼滅の刃は描かれている内容が深い。この漫画は時代を映す鏡だ。
昨年社会的ブームと言えるまで広がったのは、そこに描かれている内容が、無意識の領域にまで入ってきて、共感できる部分が多かったからだと思う。
そして、昭和・平成時代的な、鬼舞辻無惨のような上司は受け入れられなくなり、産屋敷耀哉のような、心理的安全(自由な発言が許容される)をもつリーダーが、理想像として考えられるようになってきた。
もちろん、新規事業の立ち上げなどでは絶対的なリーダーが必要なこともある。
でも、たとえ長時間労働となったとしても服従ではなく、心理的安全が確保され、本人が望む状態であることが必要だ。
社会の変化と時代を映す名作漫画からの学び
社会は何かがきっかけで大きく変化することがある。
そんな社会を、世相を、的確に反映している漫画は、これからも名作として語り継がれるのだと思う。
名作文学や名曲が”生き方”に影響することがあるけれど、名作漫画からの影響も大きい。
漫画の作画の際に、上記の組織論やリーダー像など、どこまで練りこまれて作られていたのかはわからないけれど、鬼滅の刃には学びがある。
人物の心理描写や構成が素晴らしい。
鬼滅の刃にはいろんなリーダーが描かれている。これからも読み返して学びたい。